公開日 2017年11月09日
更新日 2024年06月17日
金ヶ崎町城内諏訪小路重要伝統的建造物群保存地区
藩境の緑ゆたかな要害
ご注意:保存地区内の住宅はすべて非公開住宅でありますので、観光および見学の際は、勝手に住宅敷地内に入らないで下さい。
金ケ崎町城内諏訪小路重要伝統的建造物群保存地区
概要
保存地区は、近世期において伊達領上胆沢郡西根村であり、北上川以西では領内の最北で南部領との境に位置していました。
伊達氏は領内に21の要害を置き、大身家臣に治めさせました。その一つである金ケ崎要害は北上川と胆沢川の合流地点の舌状台地上にあります。北上川に沿って要害を取り囲むように武家町、南北に走る奥州街道の南北両端に足軽町、中央部に町人町が形成され、要害は樹木帯によって周囲の河川や田園地帯とは明確に区画されます。金ケ崎要害の骨格は、正保元年(1644年)に移封された大町定頼によって整備されたと考えられます。
保存地区は東西690m、南北980m、面積約34.8haの範囲で、かつての要害と武家町のほぼ全域にあたります。武家町内の小路はほぼ江戸時代のままで、鉤形や桝形、弓形の道路を組み合わせ城下町特有の形態を示しています。各屋敷地はサワラヒバの生垣で区画され、北西方向にはエグネと呼ぶスギの屋敷林をはじめとして、様々な樹木が植えられています。侍住宅は寄棟造茅葺の建物で、小路に沿った生垣とその背後の屋敷林の合間から武家屋敷の大きな屋根が見える景観は、当地方の武家地の典型的な姿を良く伝えています。
重要伝統的建造物群保存地区取得の経過
保存地区調査
平成 3年 | 町並調査 |
---|---|
平成 5年 | 庭園・樹木調査 |
平成 8年 | 伝建群保存対策調査 |
条例・規則
平成11年 9月 | 町議会定例会にて保存条例議決決定 |
---|---|
平成11年10月 | 金ケ崎町伝統的建造物群保存地区保存条例・規則を公布 |
平成11年10月 | 条例公布について県を通じて文化庁に報告 |
平成12年 9月 | 保存地区決定 |
平成12年 9月 | 保存計画決定 |
平成13年 6月 | 文化庁より重要伝統的建築物群保存地区に選定 |
平成13年 3月 | 補助金交付規則制定 |
平成13年 6月 | 建築基準法緩和条例の制定 |
平成13年12月 | 固定資産税の軽減条例の制定 |
伝統的建造物群保存地区保存審議会
平成11年11月 | 第1回保存審議会 |
---|---|
平成12年 1月 | 第2回保存審議会 |
平成12年 3月 | 第3回保存審議会(保存地区答申) |
平成12年 8月 | 第4回保存審議会(保存計画答申) |
平成12年12月 | 第5回保存審議会 |
平成13年 3月 | 第6回保存審議会 |
平成13年11月 | 第7回保存審議会 |
保存地区の決定
平成12年 8月 | 町都市計画審議会 |
---|---|
平成12年 8月 | 県都市計画審議会 |
平成12年 9月 | 保存地区告示 |
保存計画の決定
平成12年 9月 | 町教育委員会(保存計画決定) |
---|---|
平成12年 9月 | 保存計画告示 |
役場内の体制整備
平成 9年12月 | 保存対策検討委員会設置(委員長助役、委員課長等)以後年に3回程度検討委員会を開催 |
---|
地区説明会
平成 6年 9月 | 地区住民との懇談会 |
---|---|
平成 6年11月 | 地区住民との懇談会 |
平成11年 2月 | 地区住民への説明会 |
平成11年 4月 | 地区住民への説明会 |
平成11年10月 | 地区住民への説明会 |
平成11年12月 | 地区住民への説明会 |
平成12年 4月 | 地区住民への説明会 |
平成12年 9月 | 地区住民への説明会 |
平成13年 4月 | 地区住民への説明会 |
主な建築物一覧
建築物名 | 創建年代 | 間取り形式 | 備 考 |
---|---|---|---|
坂本家住宅 | 18世紀中期 | 広間型3間取り | 家老 |
大沼家住宅 | 19世紀中期 | 整形田の字型4間取り | 医師 |
三好家住宅 | 18世紀中期 | 広間型3間取り | 上級家中士 |
菅原家住宅 | 19世紀中期 | 前-常居型喰違い4間取り | 中級武士 |
佐藤家住宅 | 明治35年(1902) | 整形田の字型4間取り | 家老 |
笹井家住宅 | 19世紀末期 | 整形田の字型4間取り | 上級家中士 |
鈴森家住宅 | 19世紀末期 | 式台を持つ6室間取り | 修験道場浄信院 |
片平丁・旧大沼家侍住宅 | 18世紀末 | 広間型3間取り | 中級家中士 |
添田家住宅 | 19世紀後期 | 喰違い4間取り | 家老 |
土合丁・旧大沼家侍住宅 | 18世紀初期 | 奥-常居型喰違い4間取り | 中級家中士 |
1.坂本家住宅
坂本家は、表小路の武家地入口にあります。この地は大手入口を守る重要な位置でありました。屋敷は700坪あり、生垣、主屋、附属屋からなっています。主屋は桁行7.5間、梁行4.25間の石場建、間取りは簡素な広間型3間取りです。
18世紀中期以前の創建と考えられます。
2.大沼家住宅
大沼家は、大町氏の御抱医師でした。屋敷は、約860坪あり、石積み、生垣、庭、主屋、菜園、エグネからなっています。主屋は、桁行8間、梁行4間の整形田の字型の間取りで江戸時代後期の建築と考えられます。小路と平行な横屋であることがめずらしいです。
3.三好家住宅
三好家は江戸時代は黒田家でした。屋敷は石積み、生垣、棟門、主屋、庭からなります。
門からは、河原石敷に導かれて、サルスベリの前をとおり、玄関にいたります。主屋は広間型3間取りで、18世紀中頃と考えられます。
4.菅原家住宅
菅原家は江戸時代は狩野家でした。屋敷は、約600坪あり、石積み、生垣、主庭、露地庭、主屋、エグネからなります。主屋は桁行8間、梁行4.5間の整形田の字型4間取りです。庭とサルスベリの巨木は見事であり、江戸期の侍住宅をよく残しています。
5.佐藤家住宅
佐藤家は表小路南端で、達小路境の桝形道路沿いにあります。屋敷は約1000坪、石積み、生垣、庭、主屋、板倉、土蔵、便所、風呂場、エグネからなります。主屋は、整形田の字型4間取りで、明治35年の創建ですが、完成された武士住宅を踏襲しています。築山山水型の庭園はみごとです。
6.大松沢家庭園
大松沢家は、山林奉行を務めたことがあり、位置は表小路と達小路境の桝形道路沿いです。敷地は760坪あり、四脚門(江戸時代後期)、板塀、石積み、エグネ、庭園が残っています。築山を中心とした大庭園でエノキ、カエデ等の巨木があります。
7.笹井家住宅
笹井家は、大町氏の小姓組などを務めていました。屋敷は約1000坪あり、石積み、生垣、土蔵、主屋、庭、菜園からなります。主屋は桁行9間、梁行4間の整形田の字型4間取りで、明治中期以前の創建と考えられていますが、古い武家住宅の形を踏襲しています。
8.鈴森家住宅
鈴森家は、大町氏家中で、浄信院と称する修験(山伏)の家でした。屋敷は達小路が矩の手に大きく北折する角地にあります。主屋は桁行6.5間、梁行4間の喰い違い6間取りで、修験者の遺構とも見ることが出来ます。明治10年代の創建と考えられます。
9.片平丁・旧大沼家侍住宅(町指定有形文化財)
大沼家は金ケ崎要害(城)の大庭に沿った屋敷で、主屋、馬屋、庭が残ります。主屋は桁行7間、梁行3.5間の広間型3間取りで、18世紀末頃の創建と考えられます。馬屋は明治期に建てられたものですが、当保存地区に唯一残っているものです。平成17年、創建時に復原しました。平成18年に厠を新築し当地方特有の建物配置である三ツ家形式を見ることができます。
10.遠藤家庭園
遠藤家は、大町氏の御抱医師でした。以前の屋敷は2200坪を有していました。石積み、生垣、エグネ、庭からなります。庭は、現住宅と六軒丁との間につくられ、庭入口のドウダンツツジ刈り込み門を入ると、池と景石と築山のある回遊林泉式庭園が広がっています。
11.伊東家侍住宅
伊東家は六軒丁北西側、表小路との境に位置しています。敷地は約750坪あり、生垣、庭、主屋が残っています。主屋は、桁行7.5間、梁行4.5間の整型田の字型4間取りです。平成19年一部創建時に復原しました。
12.金ケ崎城(金ケ崎要害)(町指定史跡)
金ケ崎城は古代からの伝承があり、中世にも北上川中流域で軍事上注目されていた場所とされます。城は北上川、宿内川沿いに自然の谷を利用して二の丸、蔵館、本丸、東館、観音館、大庭の六つの郭がありました。江戸時代、城に代わって金ケ崎要害が置かれました。北上川の侵食が激しく蔵館は消失、大庭を除いた他の郭も一部欠損し、当主であった大町氏は二の丸で治世にあたったといわれます。二の丸は北と西を金堀沢・土塁、南を堀とさらに大庭で区切られています。金堀沢による堀跡の景観は藩境の要害を今に伝えています。
13.添田家住宅
添田家は、大町氏の家老を務めていました。屋敷は、1400坪あり、門、板倉、主屋、庭、菜園からなり、全域を生垣が回っています。主屋は桁行9間、梁行5間の、喰い違い4間取り、門、板倉とも江戸時代後期の創建と考えられています。
14.旧坂本家侍住宅
坂本家は、文政年間(1818年~1829年)に伊達氏の預足軽から大町氏の家臣となりました。天保元年(1830年)に当屋敷を拝領し、主屋を建てています。敷地は560坪あり、主屋の他に生垣、庭が残っています。主屋は、桁行8間、梁行4.75間の喰い違い4間取りです。平成21年に復原しました。
15.金ケ崎神社(旧諏訪神社)
前九年合戦の際、源頼義が諏訪の大神に戦勝祈願をし、勝利したため勧請したと伝えられます。本殿は、桁行3間、梁行2間の、3間社流造りで、寛保元年(1741年)に造られました。境内から東方(北上川、北上山地)の眺望は絶景です。天明5年(1785年)菅江真澄が当地で「陸奥胆沢郡須輪神社法楽八景和歌」を詠み、神社に奉納しています。
16.細目家庭園
細目家は、仙台藩直属の家臣、御給主でした。屋敷は約1000坪あり、石積み、ドウダンツツジ、サツキツツジ混植の大玉物とアイクロ松の主庭は、他に例を見ません。
17.土合丁・旧大沼家侍住宅(町指定有形文化財)
大沼家は大町氏の家臣で、正保元年(1644)大町氏が藤沢から移封となったときにお供してきました。「大沼家先祖書留」には文化14年(1817)に古家を拝領したとの記述があります。主屋は桁行7.5間、梁間4.5間の喰い違い4間取りです。平成23年創建時に復原しました。
18.金ケ崎要害歴史館
当地の歴史文化、侍屋敷の特徴や街並みなど、映像や展示を通して詳しく知ることができます。
金ケ崎町城内諏訪小路重要伝統的建造物群保存地区マップ
※実際のパンフレットは、白糸まちなみ交流館、公開住宅(旧坂本家住宅・旧大沼家侍住宅)等に設置してあります。
城内諏訪小路重要伝統的建造物群保存地区ガイドのお知らせ
伝建群ガイド 佐和良会では、ご希望に応じて城内諏訪小路重要伝統的建造物群保存地区の案内を行っております。(添付ファイル参照)
ガイドを希望される場合は、一週間以上前に白糸まちなみ交流館(0197-41-2355)までにご連絡ください。
皆様のお越しをお待ちしております。
金ケ崎町城内諏訪小路伝統的建造物群保存地区保存計画
金ケ崎町城内諏訪小路伝統的建造物群保存地区保存計画[PDF:486KB]
伝統的建造物群保存地区における修理基準・修景基準・許可基準の手引き
お問い合わせ
PDFの閲覧にはAdobe System社の無償のソフトウェア「Adobe Acrobat Reader」が必要です。下記のAdobe Acrobat Readerダウンロードページから入手してください。
Adobe Acrobat Readerダウンロード