概要
 保存地区は、近世期において伊達領上胆沢郡西根村であり、北上川以西では領内の最北で南部領との境に位置していました。
 伊達氏は領内に21の要害を置き、大身家臣に治めさせました。その一つである金ケ崎要害は北上川と胆沢川の合流地点の舌状台地上にあります。北上川に沿って要害を取り囲むように武家地、南北に走る奥州街道の南北両端に足軽屋敷、中央部に町人地が形成され、要害は樹木帯によって周囲の河川や田園地帯とは明確に区画されます。金ケ崎要害の骨格は、寛永21年(1644年)に移封された大町定頼によって整備されたと考えられます。
 保存地区は東西690m、南北980m、面積約34.8haの範囲で、かつての要害と武家地のほぼ全域にあたります。武家地内の小路はほぼ江戸時代のままで、鉤形や桝形、弓形の道路を組み合わせ城下町特有の形態を示しています。各屋敷地はサワラヒバの生垣で区画され、北西方向にはエグネと呼ぶスギの屋敷林をはじめとして、様々な樹木が植えられています。武家住宅は寄棟造茅葺の建物で、小路に沿った生垣とその背後の屋敷林の合間から武家屋敷の大きな屋根が見える景観は、当地方の武家地の典型的な姿を良く伝えています。
重要伝統的建造物群保存地区取得の経過
  
保存地区調査
平成 3年 町並調査
平成 5年 庭園・樹木調査
平成 8年 伝建群保存対策調査
条例・規則
平成11年 9月 町議会定例会にて保存条例議決決定
平成11年10月 金ケ崎町伝統的建造物群保存地区保存条例・規則を公布
平成11年10月 条例公布について県を通じて文化庁に報告
平成12年 9月 保存地区決定
平成12年 9月 保存計画決定
平成13年 6月 文化庁より重要伝統的建築物群保存地区に選定
平成13年 3月 補助金交付規則制定
平成13年 6月 建築基準法緩和条例の制定
平成13年12月 固定資産税の軽減条例の制定
伝統的建造物群保存地区保存審議会
平成11年11月 第1回保存審議会
平成12年 1月 第2回保存審議会
平成12年 3月 第3回保存審議会(保存地区答申)
平成12年 8月 第4回保存審議会(保存計画答申)
平成12年12月 第5回保存審議会
平成13年 3月 第6回保存審議会
平成13年11月 第7回保存審議会
保存地区の決定
平成12年 8月 町都市計画審議会
平成12年 8月 県都市計画審議会
平成12年 9月 保存地区告示
保存計画の決定
平成12年 9月 町教育委員会(保存計画決定)
平成12年 9月 保存計画告示
役場内の体制整備
平成 9年12月 保存対策検討委員会設置(委員長助役、委員課長等)以後年に3回程度検討委員会を開催
地区説明会
平成 6年 9月 地区住民との懇談会
平成 6年11月 地区住民との懇談会
平成11年 2月 地区住民への説明会
平成11年 4月 地区住民への説明会
平成11年10月 地区住民への説明会
平成11年12月 地区住民への説明会
平成12年 4月 地区住民への説明会
平成12年 9月 地区住民への説明会
平成13年 4月 地区住民への説明会
(主な建築物一覧)
建築物名 創建年代 間取り形式 備 考
坂本家住宅 18世紀中期 広間型3間取り 家老
大沼家住宅 19世紀中期 整形田の字型4間取り 医師
三好家住宅 18世紀中期 広間型3間取り 上級家中士
菅原家住宅 19世紀中期 前−常居型喰違い4間取り 中級武士
佐藤家住宅 明治35年(1902) 整形田の字型4間取り 家老
笹井家住宅 19世紀末期 整形田の字型4間取り 上級家中士
鈴森家住宅 19世紀末期 式台を持つ6室間取り  
旧大沼家住宅 18世紀中期 広間型3間取り 中級家中士
添田家住宅 19世紀後期 喰違い4間取り 家老
旧田山家住宅 18世紀初期 奥−常居型喰違い4間取り 足軽屋敷



@坂本家住宅

 坂本家は、表小路の武家地入口にあります。この地は大手入口を守る重要な位置でありました。屋敷は700坪あり、生垣、主屋、附属屋からなっています。主屋は桁行7.5間、梁行4.25間の石場建、間取りは簡素な広間型3間取りです。
 18世紀中期以前の創建と考えられます。



A大沼家住宅

 大沼家は、大町氏の御抱医師でした。屋敷は、約860坪あり、石積み、生垣、庭、主屋、菜園、エグネからなっています。主屋は、桁行8間、梁行4間の整形田の字型の間取りで江戸時代後期の建築と考えられます。小路と平行な横屋であることがめずらしいです。



B三好家住宅

 三好家は江戸時代は黒田家でした。屋敷は石積み、生垣、棟門、主屋、庭からなります。
 門からは、河原石敷に導かれて、サルスベリの前をとおり、玄関にいたります。主屋は広間型3間取りで、18世紀中頃と考えられます。



C菅原家住宅

 菅原家は江戸時代は狩野家でした。屋敷は、約600坪あり、石積み、生垣、主庭、露地庭、主屋、エグネからなります。主屋は桁行8間、梁行4.5間の整形田の字型4間取りです。庭とサルスベリの巨木は見事であり、江戸期の侍住宅をよく残しています。



D佐藤家住宅

 佐藤家は表小路南端で、達小路境の桝形道路沿いにあります。屋敷は約1000坪、石積み、生垣、庭、主屋、板倉、土蔵、便所、風呂場、エグネからなります。主屋は、整形田の字型4間取りで、明治35年の創建ですが、完成された武士住宅を踏襲しています。築山山水型の庭園はみごとです。



E大松沢家庭園

 大松沢家は、大町氏の山林奉行を務めていました。表小路と達小路境の桝形道路沿いに位置しています。約760坪の屋敷内は、四脚門(江戸時代後期)、板塀、石積み、エグネ、庭園からなります。庭園は、池、築山を中心とした回遊型庭園と考えられています。エノキ、カエデ、イチョウ等の巨木があり、四季折々に多様な色彩となり地区の景観を引きたたせています。



F笹井家住宅

 笹井家は、大町氏の小姓組などを務めていました。屋敷は約1000坪あり、石積み、生垣、土蔵、主屋、庭、菜園からなります。主屋は桁行9間、梁行4間の整形田の字型4間取りで、明治中期以前の創建と考えられていますが、古い武家住宅の形を踏襲しています。



G鈴森家住宅

  鈴森家は、大町氏家中で、浄信院と称する修験(山伏)の家でした。屋敷は達小路が矩の手に大きく北折する角地にあります。主屋は桁行6.5間、梁行4間の喰い違い6間取りで、修験者の遺構とも見ることが出来ます。明治10年代の創建と考えられます。



H旧大沼家侍住宅(公開)

 旧大沼家は要害大庭に沿うた屋敷で、主屋、馬屋、便所、庭、菜園からなります。主屋の前からは江戸時代の家臣屋敷を一望できます。主屋は桁行7.5間、梁行3.5間の広間型3間取りで、江戸後期の創建と考えられます。馬屋は明治期に建てられたものですが、保存地区内で唯一の遺構で貴重であります。平成18年、創建当初に復元。併せて、厠を新築し、当地方特有の建物配置である三ツ屋形式を復元した。



I遠藤家庭園

 遠藤家は、大町氏の御抱医師でした。以前の屋敷は2200坪を有していました。石積み、生垣、エグネ、庭からなります。庭は、現住宅と六軒丁との間につくられ、庭入口のドウダンツツジ刈り込み門を入ると、池と景石と築山のある回遊林泉式庭園が広がっています。



J伊東家住宅

 伊東家は六軒丁北西側、表小路との境に位置しています。屋敷は560坪あり、生垣、庭、主屋、菜園からなります。主屋は、桁行7.5間、梁行4.5間の整形田の字形の4間取りであり、19世紀初頭頃の創建と考えられます。



K二の丸  −金ケ崎城−

 金ケ崎城は北上川、宿内川沿いに自然の谷を利用して二の丸、蔵館、本丸、東館、観音館、大庭を連続して配し、江戸時代以前から活用されたと考えられます。北上川の侵食が激しく蔵館は消滅し、大庭を除いた他の郭も一部欠損しています。大町氏は二の丸で治世にあたっていました。二の丸は北と西を金堀沢・土塁、南は池とさらに大庭で区切っています。特に金堀沢は藩境の要害を今に伝えています。



L添田家住宅

 添田家は、大町氏の家老を務めていました。屋敷は、1400坪あり、門、板倉、主屋、庭、菜園からなり、全域を生垣が回っています。主屋は桁行9間、梁行5間の、喰い違い4間取り、門、板倉とも江戸時代後期の創建と考えられています。



M坂本家住宅

 坂本家は諏訪小路西側で、中央部に位置しています。文政年間(1818年〜1829年)に伊達氏の預足軽から大町氏の家臣となりました。天保元年(1830年)に当屋敷を拝領し家(現主屋)を建てています。屋敷は560坪あり、生垣、庭、主屋、菜園からなります。主屋は、桁行8間、梁行4.75間の喰い違い4間取りであります。



N金ケ崎神社(旧諏訪神社)

 前九年の役に、源頼義が戦勝祈願のために勧請したと伝えられます。本殿は、桁行3間、梁行2間の、3間社流造りで、寛保元年(1741年)に造られました。境内から東方の(北上川、北上高地)の眺望は絶景で、天明5年(1785年)菅江真澄が当地で「須輪神社法楽八景和歌」を詠み、神社に奉納しています。



O細目家庭園

 細目家は、仙台藩直属の家臣、御給主でした。屋敷は約1000坪あり、石積み、ドウダンツツジ、サツキツツジ混植の大玉物とアイクロ松の主庭は、他に例を見ません。

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