町の概要
《金ケ崎町の位置・地勢》
 金ケ崎町は、岩手県南西内陸部の胆沢郡北部に位置し、北は北上市、東は北上川を境として奥州市江刺区、南は胆沢川を境として奥州市水沢区、南から西にかけては奥州市胆沢区と接しています。
 また、東西21.8km、南北14.4km、面積179.77kuを有しており、東経140°53′43″〜141°08′43″、北緯39°07′34″〜39°15′21″の区域に位置しています。
 地勢は、西部の奥羽山系の駒ケ岳を有する山岳高地から東部の平坦地との間に1,300m以上の標高差があり、西から東にかけては、緩い傾斜となっています。
 
金ケ崎町と周辺市町村(拡大)
《人口》
 平成22年の国勢調査で16,325人となっています。 
《町章》
 昭和30年、金ケ崎町・永岡村が合併したことにより、新金ケ崎町にふさわしい町章として制定されました。カネガサキの「カ」、ナガオカの「ナ」をデザインしたものです。
《町の花・鳥・木》
○まちの花 ---- さつき
さつき
やまどり
すぎ
○まちの鳥 ---- やまどり
○まちの木 ---- すぎ
《町の産業》
 山岳部から平野部までの間の1,300mにおよぶ高低差は、さまざまな気象と風土を生み出し、多様な産業を育んできました。
 基幹産業の農業は、駒ケ岳の東側に広がる肥沃な扇状地帯で米・野菜・花きの栽培が盛んです。西部山麓地帯では広大な牧草地を活用した酪農や大型畜産が行われています。

 工業は、県内最大の工業団地を有し、医薬品、半導体、自動車組立工場を含む自動車関連企業などが立地し飛躍的な発展を見せています。工業出荷額は県内市町村でもトップクラスで、東北の市町村の中においても10番目の工業出荷額を有し、地域経済の発展や雇用機会の創出に貢献しています。

《町の歴史》

古代には、大和朝廷による蝦夷との戦いで有名な征夷大将軍坂上田村麻呂の伝承が町内に伝わります。また、平安時代の前九年合戦(1051-1062)の舞台となった国指定史跡「鳥海柵(とのみのさく)跡」が今も残ります。同柵は、安倍氏当主・頼良(時)が亡くなった地とされ、また嫡子(三男)宗任の柵とされます。宗任は奥州藤原氏の初代となった藤原清衡の叔父で、娘は二代基衡の妻であり、三代秀衡の母親であることから、世界遺産登録となった平泉文化は安倍一族と深い繋がりがあります。
    
  中世には、胆沢郡主である柏山氏が当地方一帯を治める拠点であった「細越城」や「大林城」があります。

  近世には、伊達領北限の地として、南部領との境の地であり、国指定史跡「南部領伊達領境塚」があります。また、当町東端と南北に通る旧奥州街道沿いには伊達氏の拠点「金ケ崎要害」があり、その城と武家町の歴史的景観が今もなお色濃く残り、「城内諏訪小路重要伝統的建造物群保存地区」として国の文化財に選定されています。

《まちづくり》

金ケ崎町は、まちの将来像を「人と地域が支えあうまち 金ケ崎」を掲げ、平成23年度を初年度とする町の5カ年計画「第九次総合発展計画」を策定し、「快適に暮らし続けられるまちづくり」、「健やかでやすらぎのあるまちづくり」、「産業の振興で活力あるまちづくり」、「豊かな心を育てるまちづくり」、「住民主役の協働のまちづくり」、「地域主権に対応したまちづくり」の6つの基本目標と「自然保護プロジェクト」、「安心子育てプロジェクト」、「元気農業プロジェクト」、「特産品ブランド化プロジェクト」、「元気100歳プロジェクト」5つの重点プロジェクトを立ち上げ、“6つの目標5つのエンジン”で各施策を展開しています。

 金ケ崎町は恵まれた自然・歴史環境を保全し、次の世代へ引き継いでいくため、平成11年2月に東北・北海道の自治体としては初めて、環境管理の国際規格ISO14001を認証取得しました。
 また、平成13年6月には、金ケ崎城郭跡を含む家臣団屋敷の城内諏訪小路地区一体が貴重な歴史的文化財として高い評価を受け、国から「重要伝統的建造物群保存地区」に選定されました。町では、この町並みを歴史的文化遺産と捉え、保存地区に暮らす住民の安全、安心及び快適な住環境の保全と保存地区の整合性のあるまちづくりを進めています。
 
 ○生涯教育宣言の町      昭和54年6月25日 宣言
 ○平和国際交流の町      平成8年11月11日 宣言
 ○田園環境保全宣言の町   平成11年3月 5日 宣言